【古事記】をわかりやすく楽しく読もう!【初代天皇即位と嫁探し】  #11

橿原神宮 (写真ACより)

彩雲(さいうん)です。
私のブログに訪れてくださり、ありがとうございます。

前回は、イワレビコが九州の高千穂の地は西の端すぎるので、平安に天下を統治するために東へ行こう!と言うことで大和まで旅をする物語でした。
いわゆる【神武東征(じんむとうせい)】のお話です。

まだお読みでない方はリンクを貼っておきますので、ぜひ先にお読みください。

【神武東征(じんむとうせい)】 #10

今回は、イワレビコが大和を平定し、初代天皇になるお話からです。

それでは始めましょう!

初代天皇 神武天皇の即位

橿原神宮(写真ACより)

イワレビコはついに大和を平定しました。
そして畝火(うねび)の橿原(かしはら)=現在の奈良盆地南部で天下を治め、その地に宮殿を造りました。
イワレビコは後に神武天皇と呼ばれるのですが、初代天皇として即位したと言われる日は、旧暦で紀元前660年1月1日であり、新暦に換算すると2月11日なのでその日が建国記念日になりました。
紀元前660年とは日本では弥生時代前期になります。
よって日本では文字がないと言われる時代です。

イラストACより

イワレビコは、即位した後に皇后となる女性を探していました。
しかし、イワレビコには九州の日向に既にアヒラヒメという妻がおり、タギシミミ、キスミミという二人の御子(みこ)がいました。

当時は一夫多妻制であり、大和の地で正式な后(きさき)を迎えようとしたのです。

ある日、イワレビコは7人の女性が遊んでいるのを見つけました。
イワレビコの家臣オオクメが「あの中で誰を妻としますか?」とイワレビコに尋ねると「強いて言うなら先頭に立っている年上の女性がいいかな」と照れながら言いました。
すぐにオオクメは年上の女性イスケヨリヒメに「あなたの事が気に入っているようですよ」と伝えると、「お仕えいたします」と言ってイワレビコの妻になりました。

イスケヨリヒメの両親のエピソード

三輪山(写真ACより)

セヤダタラヒメという美しい女性が三島=現在の大阪府茨木市に住んでいました。
その娘を見初めた三輪山のオオモノヌシは、自分自身を赤く塗った矢に姿を変えると、セヤダタラヒメが川で用を足すとき、上流から流れてヒメの陰部に突き刺さりました。

イラストACより

おどろいたヒメはその矢を持ち帰ると、オオモノヌシは元の姿に戻り、二人は結ばれました。

こうして生まれたのがイワレビコの正妻になったイスケヨリヒメです。

なんともエピソードがすごすぎますね。

天つ神と国つ神の統合

イワレビコとイスケヨリヒメは、ヒコヤイ、カムヤイミミ、カムヌナカワミミの3人の御子をもうけました。

イスケヨリヒメの父は、矢になったオオモノヌシですが、出雲のオオクニヌシの【さきみたまくしみたま】であり、分身とされています。
オオクニヌシはスサノオの子孫であり、イワレビコとの結婚により天つ神と国つ神の系譜が一つに統合されました。

神武天皇陵(写真ACより)

イワレビコは137歳で亡くなったと言われています。
イワレビコこと神武天皇のお墓は柏原市大久保町にあり、今でも歴代天皇が即位の礼や大嘗祭終了の報告に訪れるところです。
天皇と呼ぶようになったのは、天武天皇からであり、以前は大王(おおきみ)と呼んでいました。
神武天皇と呼ばれるようになったのは、かなり後の事であります

第2代天皇の争い

イワレビコが亡くなると、九州の日向にいた時に結婚したアヒラヒメとの御子タギシミミがやってきました。
イワレビコの長男です。
タギシミミは、イワレビコの正妻イスケヨリヒメと結婚し、次の天皇になろうとしました。
そして、イスケヨリヒメの3人の御子に皇位を奪われるのを心配し殺害しようと企てました。

その計画を知ったイスケヨリヒメは、自分の息子達を殺されてしまうと慌てました。
そして息子達に危険が迫っていることを知らせるため、タギシミミには意味がわからないように詩を詠みました。

詩を聞いた3人の息子達は、母の危険をすぐに察知して、タギシミミを逆に殺害する計画を立てました

三男のカムヌナカワミミ次男のかムヤイミミに言いました。
「この剣を持って、タギシミミを殺してください!」

そこでカムヤイミミは剣を持ちタギシミミの宮殿に忍び込み殺そうとしましたが、手がふるえて殺すことができませんでした。

その様子を見ていた三男のカムヌナカワミミは、兄の持っている剣を受け取り、タギシミミを殺しました。

こうしてカムヤイミミはタギシミミを殺す事ができなかったので、見事に殺す事ができた勇敢なカムヌナカワミミに天皇の位を譲り、仕える事にしました。

カムヌナカワミミは、その勇ましさからタケヌナカワミミと呼ばれるようになりました。
タケとは勇猛(ゆうもう)という意味です。

第2代綏靖天皇(すいぜいてんのう)の誕生です!

ま と め

いかがでしょうか?
今回は初代神武天皇即位と嫁探し、神武天皇が崩御(ほうぎょ)後、皇位継承争いまでのお話でした。

当時は文字がなく口伝えでイワレビコと呼ばれいましたが、後に神武天皇という立派なお名前が付けられました。

当時の皇位継承者は、長男ではなく実力で決められているので継承争いが起き、古事記では末弟が皇位継承する話が多くあります。

神武天皇も四男でしたね。

今後の古事記の内容は、歴代天皇のお話になりますが、詳しい業績が明かされていない天皇もありますので、有名な天皇のお話をピックアップしてお話ししていきます。

特に第2代綏靖(すいぜい)天皇から第9代開花(かいか)天皇までは、天下を治めた宮や墳墓の所在地、崩御の年齢、妻と子供の名前などが記されているだけですので、【欠史八代(けっしはちだい)】と呼ばれています。

という事で次回は第10代崇神天皇(すじんてんのう)のお話からになります。

お楽しみに!!

【第10代崇神天皇】#12

 

 

 

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