【古事記】をわかりやすく楽しく読もう!【第16代仁徳天皇】#19

彩雲(さいうん)です。
私のブログを訪れてくださり、ありがとうございます。

前回は応神天皇が渡来人を受け入れ、百済の朝貢により機織り・文字・酒等を広めました。

まだお読みでない方はリンクを貼っておきますね。

【第15代応神天皇】#18

そして遺言で後継者も決めていました。

しかし、応神天皇が崩御された後、後継者争いが•••
今回のお話はここから始まります!!
それでは行きましょう!

応神天皇の後継者争い

宇治川(写真ACより)

応神天皇が亡くなった後、オオサザキは父の遺言通り弟のウヂノワキイラツコに後を譲りましたが、1番上の兄オオヤマモリがウヂノワキラツコを殺し、天下を取ろうと密かに武器を準備して攻めようとしました。

オオサザキから命を狙われている事の知らせを受けたウヂノワキイラツコは、兵士を宇治川のほとりに潜ませて、仮の小屋を作り自分の替え玉を座らせて、従うものを行き来させると、その様子はまるで本人がいるようでした。

イラストACより

さらにオオヤマモリが川を渡る時の船に、ウヂノワキイラツコは船頭に扮して待ち構えていました。

するとオオヤマモリは、兵を隠し、服の下に鎧(よろい)を着けて1人で船に乗り込みました。

船を漕ぎ出し川の中ほどに来た時に、船頭に扮したウヂノワキイラツコは船を揺らしオオヤマモリを川に落としました。

オオヤマモリは水面に浮かび出て、水に流されて行きました。

イラストACより

するとウヂノワキイラツコ軍が一斉に現れ、矢を放ちました。

オオヤマモリはそのまま流されていき、ついに沈んでしまいました。

その後、オオヤマモリの遺体は引き上げられ、大和国と山代国の間にある奈良山に葬られました。

その後、応神天皇の遺言通り、ウヂノワキイラツコが即位するはずでしたが、オオサザキに譲ろうとします。

オオサザキは父の遺言通りにウヂノワキイラツコに即位させる予定でしたので、お互い譲り合いが始まり、その譲り合いは1度や2度に留まらず、間に入っていた天皇に産物を献上しに来た海人(あま)が疲れて泣いてしまいました。

ところが弟のウヂノワキイラツコは、若くして亡くなってしまい、結果オオサザキが天下を治めることになりました。

第16代仁徳(にんとく)天皇の誕生です。

仁徳天皇の政治とやさしさ

(イラストACより)

 

オオサザキこと仁徳天皇は、難波の高津宮(なにわのたかつのみや)=大阪市中央区法円坂で天下を治めました。

 

 

この時代は、大阪湾沿岸部の河内平野あたりで大規模な治水工事を行い、河川の氾濫を抑えたり、用水路を作って農業の生産力を高めました。

 

ある日、仁徳天皇が高い山に登って国を見渡すと、どの家からも炊事の時に立つ煙がのぼっていませんでした。

天皇は工事の労働により、農業を行えなかったので、人々が炊事も出来ないほど貧しい事に気づきました。

天皇は今後3年間、年貢と公共事業などの労働を免除しました。

イラストACより

そのため宮殿の屋根が雨漏りしても修繕することもせず、器で雨漏りの雨を受け、雨漏りしてない所に移って過ごしました。

イラストACより

時が経ち、天皇が再び山の上から国を眺めると、炊煙(すいえん)がのぼり、ようやく人々の生活も豊かになったことを知りました。

そして、貢物と公共事業などの労働も再開し、人々の暮らしは上向き、苦しむことが無くなりました。

そのため、仁徳天皇の御世を【聖帝の世(ひじりのみかどのよ)】と称えられています。

皇后イワノヒメの嫉妬に振り回される

イラストACより

仁徳天皇は、女性関係がとても派手なことでも有名でした。

応神天皇の大后(おおきさき)イワノヒメは、大変嫉妬深い人なので、他の妃(きさき)は宮中に入ることができず、入ることがあれば足をバタバタさせて嫉妬しました。

ある時、天皇は吉備(きび)=岡山県全域と広島県東部出身のクロヒメという乙女の容姿が麗しいと聞き、妃にしました。

これを知ったイワノヒメは、激しく嫉妬したので、クロヒメは恐れて故郷に帰ってしまいました。

天皇はクロヒメが乗っている船を見て、歌を詠みました。

クロヒメの思いの歌を聞いたイワノヒメは、さらに激怒し嫉妬して、クロヒメを船から降ろし、陸路を歩いて吉備まで帰らせました。

しかし、天皇はクロヒメを恋しく思い、イワノヒメに次のように嘘(うそ)をつきました。

「淡路島が見たい!」

淡路島海岸(写真ACより)

こうして淡路島まで向かうが、淡路島を通り抜けてクロヒメがいる吉備国へ向かいました。

そしてクロヒメは、天皇にお会いになると山の畑にお呼びして、大御食(おおみけ)を振る舞いました。

【大御食(おおみけ)】とは、天皇が食べるご飯をいう

二人はお互い歌を詠みあい密会して、天皇は大和へ帰っていきました。

その後、イワノヒメが宴の為の柏の葉を採りに紀伊の国(和歌山県)に出かけると、天皇は腹違いの妹ヤタノワカイラツメと結婚しました。

イワノヒメが帰ろうとした時、このことを伝え聞くと恐ろしく嫉妬して、採った柏の葉を全部海に捨てて、実家がある葛城(かつらぎ)へ向かいました。

天皇は歌を家臣に託してイワノヒメの機嫌を取ろうとしますが、機嫌がなおらないので、天皇自らイワノヒメに会いに行き歌を詠み、ようやく仲直りができました。

仁徳天皇の失恋

イラストACより

仁徳天皇は、腹違いの妹であるメドリに思いを伝えようと弟のハヤブサワケを仲人として求婚しました。

しかし、メドリは「イワノヒメが嫉妬深く私には仕えることができません。私はあなたの妻になりましょう」と言いハヤブサワケとメドリは結婚しました。

こうしてハヤブサワケは、そのまま天皇に報告もせずに戻りませんでした。

イラストACより

ハヤブサワケが戻らなかったので、天皇自らメドリのいる所に出向くと、メドリは織物を織っていました。

天皇はメドリに歌を詠みました。

メドリが織っている布は、誰の服にするものだろうか?」

すると、メドリが歌を返しました。

ハヤブサワケの衣服にするためのものです」

天皇はメドリの気持ちを知り、宮にお帰りになりました。

入れ違いにハヤブサワケが帰ってきてメドリが天皇を殺してしまえ!という意味の歌を詠みました。

すると天皇は、人づてにこの歌を聞くと軍勢を集めて二人を殺そうとしました。

ハヤブサワケとメドリは、手に手をとって山を越えて逃げましたが、天皇の軍勢に追いつかれてしまい殺されてしまいました。

その時、軍勢の将軍であるオオダテは、メドリが手に巻いていた玉の付いた腕輪を奪い取り自分の妻に与えました。

その後、宮中で宴会があり、それぞれの氏族の女たちが参りました。

その中にはハヤブサワケとメドリを殺害したオオダテの妻がいて、メドリを殺した時に奪い取った腕輪をしていました。

大后イワノヒメは、自らお酒をついでまわりオオダテの妻の所に来るとすぐに腕輪に気付き退席させました。

そして夫のオオダテを呼び出し、「お前は自分に仕えていたものの手に巻いてあった玉の腕輪を、肌がまだ温かいうちに奪い取り妻に与えたのか!!」と仰せになって処刑してしまいました。

ま と め

イラストACより

いかがでしょうか?
今回は仁徳天皇のお話でした。
仁徳天皇は人々のために3年間、年貢と公共事業などの労働を免除されました。

聖帝(ひじりのみかど)と呼ばれていましたが、女性関係が派手でしたね。

仁徳天皇は83歳に崩御(ほうぎょ)されました。

仁徳天皇陵(写真ACより)

御陵は大山領古墳(だいせんりょうこふん)といい、大阪府堺市にある日本最大の古墳(前方後円墳)です。

次回はオオハツセワカタケルこと第21代雄略天皇が即位する迄のお話です。
お楽しみに!!

【第21代雄略天皇 前編】#20

 

 

 

 

 

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