【古事記】をわかりやすく楽しく読もう!【神武東征(じんむとうせい)】 #10

彩雲(さいうん)です。
私のブログを訪れてくださり、ありがとうございます。

前回はニニギとコノハナサクヤヒメとの結婚、海幸彦・山幸彦とのお話でした。

ニニギはイワナガヒメを追い返した事により、寿命がある事になりました。

海幸彦と山幸彦の話では、山幸彦が無理やり海幸彦から道具を交換してもらったにもかかわらず、釣り針を失くしてしまいました。
海幸彦が「どうしても自分の釣り針を返せ!!」と言うのでワタツミの宮殿まで行く事になりました。
3年後、山幸彦はワタツミの宮殿に来たいきさつを思い出し、ワタツミは魚たちに聞いて釣り針を探し出しました。
山幸彦が帰ることになった時、ワタツミは兄の海幸彦に仕返しをするアイテムを渡します。
陸に帰った山幸彦はその後、兄の海幸彦に仕返しをするのですが、一体どちらが元々は悪いのか?と疑問に思う理不尽なお話でした。

まだお読みでない方はリンクを貼っておきますね。

【ニニギの結婚と海幸彦・山幸彦 】#9

今回は神武東征(じんむとうせい)のお話からです。

それで始めましょう!

カムヤマトイワレビコ一行、天下を治めるため出発!

ウガヤフキアエズタマヨリビメの子供である末っ子のカムヤマトイワレビコは長男のイツセに「平安に天下を統治するために東に行こう!」と提案しました。
この時イワレビコは45歳になっていました。

兄弟は4柱居ましたが、次男と三男はそれぞれ海原と常世(とこよ)の国に去っていました。

イワレビコ東征地図

長男イツセと四男イワレビコは日向最強の【久米兵(くめへい)】と共に日向(ひむか)の高千穂(たかちほ)=現在の宮崎県から九州の北部に向けて船で出発し、豊国(ふこく)の宇佐(うさ)にたどり着きました。
宇佐では国主のウサツヒコウサツヒメが豪華な食事でもてなし、歓迎してくださいました。
ここでしばらく滞在してから西に向かい、筑紫の岡田宮(おかだのみや)に着いて1年滞在し、安芸国(あきのくに)=現在の広島県の多祁理宮(タケリノミヤ)では7年滞在吉備国(きびのくに)=現在の岡山県の高島宮(たかしまのみや)には8年滞在しました。
日向を出発してからすでに16年以上の月日が経ってしまいました。

イワレビコ一行はさらに東へ船で進み現在の明石海峡を辺りで、亀の甲に乗って袖を振り羽ばたいてくる人に会いました。「あなたは誰か?」と聞くと「私はここの国つ神」と答えました。

イラストACより

イワレビコは「海の事をよく知っているか?」と聞くと「良く知っています。」と答えるので、「私達に仕えないか?」と尋ねると「お仕えしましょう!」と答えました。

イワレビコは船棹(ふなざお)を差し渡し国つ神を船の中に入れて【サオネツヒコ】の名を与え、水先案内人を頼みました。
サオネツヒコは浪速(なにわ)まで道案内をしてくれました。
その後、一行は浪速(なにわ)の渡(大阪湾)を通って、白肩の津(しらかたのつ)に船を泊めました。

その時、登美(とみ)=現在の奈良市の豪族ナガスネヒコが兵を集めて待ち受けていました。

【白肩の津】
現在の東大阪市日下あたりにあったとされる船着場

ナガスネビコが戦いを挑んて来たので、イワレビコとイツセは船から盾を取り出し、船から下りて戦いました。
奮戦し、イツセはナガスネビコの放った矢が手に刺さり、傷を負ってしまいました。

イツセは「私は日の神の子なのに、日に向かって戦ったのが良くなかった。だからいやしい奴に痛手を負わされた。これからは回り道をして、太陽を背にして戦おう!」と提案しました。

一行は敵の東に回り、南に進みました。
敵がいなくなり、イツセは手の血を洗い流すために、1度船を下りました。
しかし、いくら洗い流しても血は止まらず血で真っ赤に染まってしまったので、血沼海(ちぬのうみ)と呼ばれました。

紀国(きのくに)=現在の紀州の港に辿り着いた時、イツセは傷が悪化してしまい、「いやしい奴によって、傷をつけられて死んでしまうのか!」と叫び死んでしまいました。
イツセが亡くなったこの港を男乃水門(おのみなと)というようになりました。

熊野における苦戦とヤタガラスの導き

イワレビコ一行はさらに南へと進み熊野(三重県)に辿り着きました。
森に入るといきなり大きな熊が現れ、すぐに姿を消してしまいました。
すると悪しき神の息吹に当たって突然一行は意識を失ってしまいました。
あわや全滅というところにタカクラジが一本の太刀を持って悪しき神の息吹を祓い(はらい)ました。

イワレビコはすぐに目を覚まし、「長いこと寝ていたなぁ」と言いました。
イワレビコがその太刀を受け取ると、熊野の山の荒ぶる神々は自ら切り倒されてしまいました。
そして気を失っていた久米兵たちも目を覚ましました。

イワレビコはタカクラジに今までの経緯を尋ねました。
タカクラジは寝ていたところ、夢の中で高天原のアマテラスとタカミムスビが現れました。
二柱の神はタケミカヅチを呼び出し、地上世界で苦戦している神の神子を助けるよう命じました。
タケミカヅチは、「以前降臨して国を平定した時に使用した太刀があるので、その太刀を授けましょう!」と答えました。
するとタケミカヅチは、タカクラジの倉の屋根から太刀を落とし、タカクラジに「この太刀を天つ神の御子の元に届けよ!」と命じました。
翌朝、目が覚めたタカクラジは、あわてて倉を見にいくと、夢の通り屋根に穴が開いていて太刀が置いてあったので、お告げ通りお渡しに参りましたと答えました。

この太刀はフツノミタマと言い、現在の奈良県天理市の石上神宮(いそのがみじんぐう)に剣の魂をまつっています。

ヤタガラスの導き

ヤタガラス
(イラストACより)

タカクラジから太刀が届いたいきさつを聞くと、カミムスビの声が響きました。
「荒ぶる神がひしめくここから奥に入ってはいけません!ヤタガラスをつかわし、その導きに従いなさい!」
すると、ヤタガラスが現れ、導き通りに一行はついて行きました。
ヤタガラスとは三本足のカラスで、今ではサッカー日本代表のシンボルマークとして有名ですね。

ヤタガラスの導きで吉野川の河上に到着しました。
すると、河で魚を獲っている人に出会い、名を尋ねると、「この土地の長であり、ニエモツノコと申します。」と答えました。後に鵜飼(うかい)で朝廷に魚を納めていた一族の祖です。

イラストACより

一行はさらに進むと今度は泉の中から、尾の生えた人が現れ名を尋ねると、「この土地の長でイヒカと申します。」と答えました。こちらは奈良県吉野郡の氏族です。

【尾の生えた人】をは、尾の付いた毛皮を腰に付けていたので、そのように表現したと言われています。

さらに山に入っていくと、また尾の生えた人が現れ名を尋ねると、「この土地の長でイワオシワクヒコと申します。」と答えました。こちらは吉野の国巣(くず)の祖です。

このように名を聞くやりとりは、現地の首長を次々と服従したことを示すと言われます。
こうして、熊野の土豪(どごう)たちを服従させて熊野の山中を踏破(とうは)して宇陀(うだ)にたどり着きました。

【宇陀】:吉野から奈良盆地にまでの途中の地

そこにはエウカシとオトウカシという兄弟が住んでました。
イワレビコはヤタガラスを遣わし二人の兄弟に尋ねました。
「天つ神の御子にあなた達も仕えますか?」
それを聞いたエウカシは、鳴り鏑(なりかぶら)でヤタガラスを打ち返しました。

【鳴り鏑(なりかぶら)】:音が出る矢のこと

イラストACより

エウカシは兵を集めましたが、充分に集まらなかったので、イワレビコには従うとウソを言い、その間に大きな御殿を建てて、内側に踏むと石が落ちてくる罠を仕掛けてイワレビコを殺そうと待ち受けていました。
しかし、オトウカシの方は、兄エウカシが御殿に罠を仕掛けていることをイワレビコに密かに伝えました。

イワレビコの共のものは、エウカシに「お前が御子さまにお仕えするために造った御殿には、まずお前が先に入ってお仕えするのか明らかにしろ!」と言ってエウカシに矛(ほこ)を突きつけ、御殿の中に追い詰めました。
すると、エウカシは、自分が作った罠にはまり、石につぶされて死んでしまいました。
弟のオトウカシは、服従の意として献上した宴を開いて、イワレビコは戦いに勝った喜びの歌をうたいました。

戦いに勝ったイワレビコの一行は、さらに進んで行き忍坂(おしさか)=現在の奈良県桜井市に到着しました。
そこには、ヤソタケルという尾の生えた土雲(つちくも)達が大きな岩穴で待ち構えてうなり声をあげていました。
土雲(つちぐも)とは土着民をさげすむ呼び方です。
イワレビコは宴(うたげ)を催し、それぞれ膳の係の者を付けて、和歌が詠まれたら一斉に剣を抜いて斬りかかる計画を立てました。

その後、歌が響き渡り、一斉に剣を抜きヤソタケルを打ち果たしたのです。

土雲を平定したイワレビコ一行は、最終決戦である生駒山に登り、久米兵たちはナガスネビコとの戦い前に気合を入れるため久米歌を歌いました!
「強い久米兵達のアワ畑には、臭いニラが1本生えている。そのニラを根こそぎ抜くように、敵を撃ってしまおう!」

【久米歌】は8首にも及び、戦勝の折などに歌が出てきます。元々は天皇家に仕える久米氏が、天皇への忠誠を示すために歌っていたと言われます。

こうして歌を歌いながら、山を越えるとナガスネビコ軍が待ち構えていました。

明らかにナガスネビコ軍の方が数が多かったが、形勢は五分五分でした。
イワレビコは高台から弓を構えると、高天原から金のトビが現れイワレビコの弓の先端にとまりました。
そのトビは金色のまばゆい光を発して、ナガスネビコ軍の目をくらまして勝利をもたらしました。

それから数日後、ニギハヤヒという神がイワレビコを訪ねてきました。
イワレビコも天つ神で「神の御子がこちらに降りたと聞いたので、後を追ってきました。」と言い、天の宝物を差し出し、イワレビコに仕えたいと言いました。

【先代旧事本紀】によると、ニギハヤヒは10種類の神宝を持ち、天磐船(あまのいわふね)に乗り、高天原から降り立ちました。
その後はナガスネヒコの妹トミヤビメと結婚して一族の長として当地を治めていました。
イワレビコとの戦い後、服従を示さないので、ニギハヤヒがナガスネヒコを殺害したとの事です。

ニギハヤヒの子孫は物部氏になります。

ま と め

イラストACより

今回はかなり長くなりましたが、いかがでしたでしょうか?
今回はイワレビコ(後の神武天皇)一行が九州の日向の高千穂から大和平定までのお話でした。

古事記と日本書紀では話の違いがあり、日本神話として古事記のお話を中心に書いてはいますが、内容が抜けている時は日本書紀や他の書籍から補充してます。
古事記には書いてないじゃない?というところもあると思いますが、その点はご了承ください。

次回は初代天皇の即位からのお話になります。
お楽しみに•••

【初代天皇即位と嫁探し】 #11

 

 

 

 

 

 

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