彩雲(さいうん)です。
私のブログを訪れてくださり、ありがとうございます。
前回は、ホムダワケこと応神天皇の即位までのお話でした。
まだお読みでない方はリンクを貼っておきますので、先にお読みになってから今回のお話をお読みになるとより理解が深まると思います。
今回のお話は、応神天皇 後継者の駆け引きからです。
それでは始めましょう!
応神天皇 後継者の駆け引き
ホムダワケこと応神天皇は、軽島(かるしま)の明宮(あきらのみや)=奈良県橿原市(かしはらし)で天下を治めました。
応神天皇は父親の仲哀天皇が崩御され、母親の神功皇后のお腹の中にいた時、神から神託をうけ天皇に即位しています。
このようなことから【胎中天皇(たいちゅうてんのう)】とも称されます。
応神天皇は近淡海国(ちかつおうみのくに)=滋賀県で出会った美しい娘との間にウヂノワキイラツコをもうけます。
応神天皇は、このウヂノワキイラツコを溺愛(できあい)していました。
そして異母兄のオオヤマモリとオオサザキを呼び出し、「お前たちは、年上の子と年下の子とどちらが愛しいと思うか?」と尋ねました。
オオヤマモリは、「年上の子が愛しいです」と答えました。
次にオオサザキは、天皇の気持ちを見抜いて「年上の子はすでに大人ですので、心配することはありませんが、年下の子はまだ大人ではないので愛しいと思います」と答えました。
すると天皇は、「オオサザキよ! お前の言うことは私の思いと一緒だ!」と仰せになり、2人に命じました。
「オオヤマモリは、山や海の政治をしなさい!オオサザキは、天皇の相談役をしなさい!そしてウヂノワキイラツコには皇位継承の資格を与えました。
そしてオオサザキは天皇の命令に背くことはありませんでした。
応神天皇が日向国(ひむかのくに)の諸県君(もろがたのきみ)=宮崎県南部の豪族の娘カミナガヒメの容姿がとても美しいと聞き、宮中に仕えさせようと呼び出しました。
そのカミナガミヒメが難波津(なにわづ)=大阪湾に到着した時、オオサザキはカミナガヒメに一目ぼれをし、大臣のタケノウチノスクネに天皇に譲ってくれないかと頼み込んで欲しいとお願いをしました。
タケノウチノスクネがそのことを天皇に申し上げると、天皇はカミナガヒメをオオサザキにお与えになりました。
こうしてオオサザキとカミナガヒメとの結婚を許してもらうことができました。
渡来人と百済の朝貢
応神天皇の時代は、海部(あまべ)、山部(やまべ)、山守部(やまもりべ)、伊勢部(いせべ)が定めら、剣池(つるぎのいけ)が作られました。
【海部・山部・山守部・伊勢部】とは、山や海などを管理する部民
【剣池】とは、農作地に水を引くための用水路
また、新羅(しらぎ)の人々が渡ってきて、タケノウチノスクネが渡来人を率いて堤池(つつみいけ)という貯水池を作らせました。
また、百済(くだら)の国王である照古王(しょうこおう)が、オスメス一頭ずつの馬と太刀(たち)と大鏡も献上しました。
天皇は百済国に「もし賢い者がいれば派遣するように!」と命じ、派遣されて来たのが、和邇吉師(わにきし)です。
また、論語(ろんご)十巻・千字文(せんじもん)一巻を併せて十一巻を和邇吉師(わにきし)に託して献上しました。
【論語】とは、孔子の死後、弟子たちが書き留めていた孔子の語を弟子の弟子の手により、作られた書物
【千字文】とは、中国の文字習学のための書
【和邇吉師】は、文首(ふみのおびと)の祖であり、朝廷の文筆を担当した帰化氏族
また次の技術者も渡って来ました。
・卓祖(たくそ)という名の鍛治(かじ)職人
・西素(さいそ)という名の機織り女
・秦造(はたのみやつこ)の祖 京都市北西部を本拠とした渡来系豪族 機織り、養蚕、土木などの最新技術を朝鮮半島から伝えた
・漢直(あやのあたい)の祖 奈良県明日香村を本拠とした渡来系豪族
・仁番(にほ)またの名を須須許理(すすこり)という酒を造る杜氏(とうじ)
そして須須許理(すすこり)が天皇に差し出すお酒を造り献上し、天皇はこの酒を飲みほろ酔いになり歌を歌いました。
歌を歌い終わると、大和から河内へ超える坂にあった石を杖でつこうとすると、その石が走って逃げました。
このことが今でも諺(ことわざ)で「堅石(かたいし)も酔人(よいびと)を避く(さく)」
(硬い石も酔っ払いを避ける)と言われています。
ま と め
いかがでしょうか?
今回は応神天皇のお話でした。
さて全国で多いご祭神は、どの神様かご存知でしょうか?
第1位 八幡信仰
第2位 伊勢信仰
第3位 天神信仰
第4位 稲荷信仰
そうです。八幡さまなどと親しみを込めて呼ばれる八幡信仰に関わる神社の数がダントツ1位です。
あれ?お稲荷さんじゃないの?という方もいらっしゃると思います。お稲荷さんは第4位になります。
第1位と第3位は人神様ですね。第3位の天神信仰は学問の神様である菅原道真公(すがわらのみちざねこう)です。
応神天皇といえば、大分県の宇佐神宮(うさじんぐう)を総本宮とする八幡(はちまん)さまの御祭神です。
渡来人を受け入れ、百済の朝貢により、機織り、文字、酒等を広めました。
次のお話は、第16代仁徳天皇のお話からです。
お楽しみに!!
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